「少女は卒業しない」(朝井リョウ)

「これはドラマ向きじゃない」

正直そう思ってしまったのは、朝井リョウさんの作品が初めてだ。

そこに潜む言葉たちや表現が文字ではないと伝わらないからだ。

最初、小説を読んだ時、絶対女の人が書いていると思ってしまった。

そのくらい女の子の心理描写がうまく、そして可愛い文章を書くんだなぁとつくづく思った。

「少女は卒業しない」で描かれているのは少女が「さよなら」をする7つの物語。

 

少女は卒業しない

少女は卒業しない

 

舞台は、廃校が決まった高校の卒業式。そこには7人が迎える、それぞれの卒業がある。物理的にも心理的も、少女たちは卒業してしまえば「あの頃」には戻れない。そして少女ではなく、女になろうとしている。

卒業式の朝、直前、最中、終了後、そして卒業ライブに最後の夜。少女たちは、違う場所へと旅立っていく。

 

私は高校の卒業式で過呼吸になる程泣いた。

それはただ単純に、「卒業したくなんかない!」という気持ちや「友達と離れたくない!」なんていう気持ちから泣いたわけではない。ただ、虚しくて悲しい気持ちだった。大学入試を控えていたからとか、ネガティブな気持ちではないのだが、とにかく泣きたかった。「離れるのが寂しい」から泣いてると思われていたが、それはきっと違う。卒業するという事実がとてつもなく嫌だった。なんだか胸の奥に”しこり”が残ったままだったのだ。その答えがこの小説の一文で見つかった気がした。

卒業式を終えた高校は、もう食べられてしまったケーキを包んでいたセロファンのようだ。

中身をすっぽりと奪われてしまって、力なくその場にうなだれているように見える。

 

「あ、これだ」と思った。中身を奪われてうなだれているのは、校舎だけではなく、私自身だった。「高校生」という肩書きをなくしてしまうことが怖かったのだ。高校生の頃の悩みなんて些細なもので、今考えるとあほらしい。数学のテストで良い点が取れない、好きな子に彼女ができた、なぜ私はこの人と付き合ってるんだろうとか。

高校生の頃、好きになった男の子がいたが、それはただ顔が好きだったからだ。あとは、いきなりのバスケブームに陥り、バスケ部の男の子と付き合ったけど、ブームが去るとともに好きな気持ちがなくなったとか。その程度のものだった。

だけどあの当時はすごく悩み、世界でいちばんの悪者になったような気分にもなったりしていた。私はただの少女だった。そして少女の世界はとても狭かった。その世界もいまは愛おしく感じる。

みんなで暑い暑い暑い暑いって言ってるのが、少し好きでした

それくらいしょうもない話を、ブーブー言い合って笑いあう、そんな時間でさえも今思えばとても愛おしい。

「高校生」という肩書き、そして少女であることを許されている環境から抜け出す時期が迫っている。自分が夢中になっていたことや、楽しいと感じていたことが、振り返ると幼稚でかっこ悪いことなのだと気がついてしまう。それが私は怖くて泣いたのだと思う。大学へ入るという目標を掲げて、ドラマのプロデューサーになるという大きな夢を持って、卒業することが怖かったのだ。大人にならなければいけない少女は、その場にうなだれるしかなかった。

高校の校舎に似合うものは、いつだってとってもかっこわるいものなのだ。

 

だけど私はそのかっこわるい少女を愛おしいと思える。

そして羨ましいと思える。かっこ悪くても、ダサくても、一生手に入らない感情を少女は持っているからだ。