ムズキュンについて考えるー「逃げるが恥だが役に立つ」ー
”ムズキュン”って一体なんなんだろう。
「逃げ恥」が”ムズキュン”ドラマとして話題になってるけど、そもそもそれってなんなんだろう。
くっつくかくっつかないかわからない(ムズムズ)
ハグの日を決めてハグしちゃう(キュンキュン)
彼氏と彼女にはなったけど…ここからどう進めばいいのかわからない(ムズムズ)
でもお互い好きなんだよね(キュンキュン)
この連続がムズキュンなんだろうか。胸キュンではなく、ムズキュン。でも恋愛ドラマって基本的にムズキュンなんじゃないんだろうか。後輩がそう言っていて、確かにそうだなと思った。
今までの恋愛ドラマは、
出会い→衝突→成就→元カノ出現→破綻→やっぱり成就
この形式に当てはまる。そしてそれは「男女が付き合ってうまく行くさま」を描いているんですよね。だけど最近の恋愛ドラマは、出会って成就するまでがすごく早い。というか、もはや最初から出会っていて付き合っているケースまである。出会いに運命や憧れを抱かないようになっているのかもしれません。
「逃げ恥」を例にあげると、そもそも出会いは形式上のものであり、恋愛始めますと断言してから結婚している。そうしたことで、「結婚しているのに恋愛が始まらない!」展開がうまれる。愛情は生まれているけれど、恋愛はできない感覚。出会う方法はたくさんあっても、恋が始まらない。というか始める方法がわからない、そのムズムズ感が楽しいのかもしれません。でもそれも今まであったやり方ですよね。じゃあなんでこのドラマは”ムズキュン”なのか、そして「恋」ってなんだろう。
2人は「ありがとうございます」をきちんと言い合い、そして相手を気遣う場面も多くみられます。そして愛情を示す方法として、ハグを盛り込み、きちんと相手に愛情を提示している。このように相手に対して、わかりやすく感謝と敬意を示すのは、雇用関係があるからこそ。だからこそ二人の関係性は成り立っていた。でもそれが義務ではなくなり、”任意”のものになった途端におろそかになったり不満が生まれたりして難しくなってしまいます。お互いに「恋」が芽生え始めた途端、彼らの関係性はギクシャクしはじめるように。
8話で、みくりのお母さんがこんなことを言っていました。
みくり母「運命の相手に、するの。
— ドラマ子 (@tvdraran) 2016年11月29日
意思がなきゃ続かないのは、仕事も家庭も同じじゃないかな」#逃げるは恥だが役に立つ #8話
無償の愛を捧げているように見えても、それは妻の努力。そして今そばにいる相手を自分の運命の相手として認識するということ、それもまた努力。そしてそうした悩みや努力が「恋愛する」ってことなのかもしれません。
また、6話で山さんがこんなことを言ってましたが…、
山さん「自分が相手にかけた愛情と同等の愛情が返ってこないと、人は不安になる。愛情がもらえなくても、同等の見返りがあれば納得できることもある。お金だとか、生活の安定だとか。
— ドラマ子 (@tvdraran) 2016年11月16日
→#逃げるは恥だが役に立つ #6話
この不安な気持ち、それこそ恋ですよね。想いが強いほど、その不安に押しつぶされそうになって関係は終焉してしまう。だから雇用関係を結んでしまえば、その不安は解消される。恋人も夫婦も関係は良好、その方が効率もよくて円滑に回る。刺激より平穏。でもそれって恋なのでしょうか。
昔の恋愛ドラマを参照してみると、「相手に恋している」という感覚は、「この気持ちってなんなんだろう…わかった…恋してるんだ!」ってヒロインや相手が勝手に勘付いていたんです。自分でこれが恋なのだとわかっていた。ananの今月号で「恋の処方箋」というテーマが掲げられていたように、もうそんな時代じゃない。
そして9話のみくりのこのセリフ。
みくりM「曖昧だから成り立つ幸せは、曖昧な幸せ。システムで作られた関係は、システムから逃れられない」#逃げるは恥だが役に立つ #逃げ恥 #9話
男女の関係をシステム化したり雇用関係を結ぶことは、恋愛することの大きな障壁にすぎない。結局きちんと段階を踏んでお互いに恋愛をしなければいけないんですよね。
これは恋の仕方がわからない、みくりや平匡が、「恋愛をするということは、忘れられがちだけどとても大切なこと」だと気がつくドラマ。だから、こういうのが恋なんだよって教えてあげてることが大事。そのために単純に自分の気持ちが恋だと気づけないようすを描く。そして最初に契約を結んでいる彼らは「恋」という気持ちについて深く繊細に考えているんだなぁなんて思います。
「恋をすること」がわからない二人が繰り広げる恋の細分化描写があるからこそ、このドラマは”胸キュン”ではなく”ムズキュン”なのかもしれません。