複雑で面倒で鬱陶しい大人はグレー ーカルテットー

レモンをかけるっていうことは不可逆的な行為だ。

 

レモンがついているから、かける。

私たちは、唐揚げにレモンをかけるのが当たり前という空気で過ごしているけど、

当たり前なことにレモンを嫌いな人はいるし、

かけるのを拒む人だっている。

だけど、「レモンありますね」と言ってくれればやんわり「レモンありますよ」って返すことができる。

そして小皿に自分の分を取り分けて、そのレモンをかければいい。

 

 言ってることはわかるんだけど、なんかまわりくどくて理屈っぽい。

そんなのレモンかける前に「レモンかけないで」って言えばいいし、

かけちゃったら我慢するか、最悪は食べなきゃいい。

唐揚げは洗えないんだから。

いい大人が、そんな小さいことでぐちぐち論争するな。

 

そう思う人は「カルテット」を1話でやめると思う。

だってセリフはわかりづらいし、

唐揚げのレモンの話は今だにしてるし。

みんな理屈っぽくて何考えてるのかわからないし。

だけどそんなセリフを楽しめる人間にとって、このドラマは最高かもしれない。

 

例えば2話でこんなことを言っていた。

連絡しますねっていうのは、連絡しないでねって意味でしょ。

 

 確かに、連絡先を交換するときに、

先に連絡先を教えてもらっておいて「連絡しますね」という場合、

大抵しない。

しかも相手には自分の連絡先を教えてないから、相手はじっと待つしかできない。

 「行けたら行く」も「行かない」と同じ。

なんかこんなことを「ごめんね!青春」*1でも言っていたような気がするけど、伝え方がかなり真逆。

「ごめんね!青春」では、ダイレクトにアツく教えてくれる。

「言ったじゃないか!!」って叫んでいるように感情的に、わかりやすく生徒に教えを説いている。

 

でも「カルテット」はどこか冷めてる。

皆冷めているうえに、どこか人生に諦めているようにも見える。

それはやっぱり彼らがいい年齢の「大人」だからだろう。

大人は嘘をつくし、まわりくどくて、理屈っぽく、複雑だ。

 

女の子は可愛く「今夜泊めて」って言えるかもしれない。

でも大人は終電を言い訳にしないとそうなれない。

終電は男女が一線を超える言い訳のためにある

 

こんなセリフもあったように、

大人はとても面倒で、言い訳がないと行動できない。

そのくせ生きてきただけのプライドと見栄があるから、

プライドを捨てるようなことはできない。

 

志のある三流は四流だからね

 

三流だとわかっていても、ここまで生きて大人になってきた彼らは変われない。

汚い仕事はできないし、人よりいい仕事ができるとまだ信じてる。

夢を忘れないことは悪いことではないけれど、彼らは諦め方がわからない。

からあげのレモンもそうだけど、

今更レモンをかける側の人間は、かけない人間にはなれない。

 

そして白黒はっきりさせる勇気もない。

ずっとグレーでいることを好む。そんな大人の生き方。

白黒はっきりさせちゃ裏返る。答えが出てしまう。

 

はっきりさせられたら、彼らはこのままでは生きられない。

だからこそ、ずっとこのままグレーを保ってる。

 

「大人なのに」と言われないために、

わざとわかりにくい言葉を使って、なんでもわかっているような顔をして、平然を装って生きている。

毎日が不安で寂しくて仕方なくても、そんなことを言ったりしない。

 

すごく面倒くさくて、うっとおしい彼らだけど、

でも私はすごく愛おしくも思える。

決してこんな大人になりたいなんて思わないし、

旦那の靴下を愛する妻にもなりたくない。

 

だけど、彼らを毎週見ていたいと思えるのは、

「大人」という生き物がとてもかわいそうで、切なすぎるからだ。

そして自分も大人なんだという現実を感じ、ゾッとする。

 

そんなゾッとする感覚を味わいながら、「タラレバ」を見ると、

撃ちこまれる銃弾の重さが全然違うことに驚く。

 

*1:クドカン脚本の錦戸亮満島ひかりの学園モノドラマ。